縄文遺跡発掘(高野路遺跡)
場所 鹿児島県姶良郡湧水町川西
北緯32度00分07秒
東径130度44分08秒
海抜237m
平成29年2月
   
町道拡張工事に伴い、遺跡の発掘が行われました。
その経過を紹介します。
南九州考古学研究所 所長 新東晃一先生の下、湧水町生涯学習課の管理で発掘作業をしました.


作業補助員 16名(内3名女性)


新東晃一氏 プロフィール
1947年伊佐市生まれ。姶良市在住・大口高校卒・岡山理科大学理学部卒業。岡山県教育委員会文化課、鹿児島県教育委員会文化課、鹿児島県立埋蔵文化財センターで埋蔵文化財の調査に携わる。現在、鹿児島県立埋蔵文化財センター次長兼南の縄文調査室長。過去の火山活動を分析して考古学に生かす「火山灰考古学」を提唱

文学博士(熊本大学

筆者の感想
性格 明るく学者らしからぬ親しみのある先生、現地調査も自ら作業員に交わり行う
作業員の性格をいち早く把握、適材適所に作業を指示、遠方より朝早く出向き、作業の指揮を行う。
会話は鹿児島弁で気さく。

 作業用具

運搬車(ダンプ)

発電機

ベルトコンベアー

 簡易トイレとプレハブ
 
手箕
(てみ)
 
竹串

ねじり鎌

 移植こて

はけ、塵取り、しゅろほうき
 
腰おろし台

 竹べらと根切りはさみ

スコップ 3種類

ジョレン・唐鍬
 
一輪車

複式ショベル

 フオーク

巻き尺

ピンポール

水糸・メジャー

手くわ・のこぎり・簡易腰おろし台

水タンク・軽油タンク

清掃用


アリダード

レベル計

水平計とスタッフ

土のう

カラーコーン

カメラ
 
簡単組み立てテント
 脚立
 
やかん・バケツ(遺物洗浄湯沸かし

ドローン

飛行中、100m上空では下から見えません
送信機  モニター画面 16m上空より撮影
 
見学者用階段(手すり付)

見学者用階段2

見学者への地層説明掘削
 
見学者用安全ロープ
 発掘 方法

まず区画を決め、表土をはぎ取ります。 

表土はスコップなどではぎとります。

畑の耕作表土です。

ねじり鎌で「ガリかけ」と言う作業、水平に削ります。

地層を確認しながら慎重に「ガリかけ」します

遺物に竹串を立て、番号札をつけます。

平面位置を記録する

レベル(垂直)測定を記録します。

計測記録
 
成川式土器群
 針金間隔は10cm×10cm
 土器群

石匙(いしさじ)

石匙(ここにひもを通し、動物の皮剥ぎ用)

石包丁

稲などの刈り取り用

遺物

器破片

器破片
 
矢じり

矢じり
 削器(皮なめしに使う)
ビニール袋に入れ
取り上げた遺物を洗います

番号順に整理し

番号順に整理、最終番号は3500番代
全部で約6000点出土

全て洗います。

焼けた後の残る石
鹿児島地方のカルデラ
 7300年前に鹿児島県南方沖の海底火山(鬼界カルデラ)で起きた巨大噴火が、当時の南九州で栄えていた縄文文化を壊滅させたことは、考古学上よく知られている[12]東北地方朝鮮半島でも赤橙色を帯びた“アカホヤ”と呼ばれる火山砕屑物が見つかっており、極めて規模の大きな破局噴火であったとされる。火砕流は半径100kmの範囲に広がり、大分県でも50cmもの厚みのある火山灰層が観察される。
 アカホヤ火山灰層の上に出てきた遺跡は、古墳時代中期(約1500年前)の花弁状住居跡で、3住居あるうち1つは完全な形で柱跡が7つあり、直径6.8mで、もう一つは不完全であるがこの住居より大きそうである。あと1つは一部分である。
花弁状型住居跡    
通常の竪穴住居は、円形や方形であ るが、この形式の住居は、住居内部に向かって飛び出した土壁が一段高い位置で掘り残されているのである。この位置は寝床、物置、祭壇だろうか。
平面形があたかも花びらを 開いた状態に見えること、そして掘り残された土壁が、間仕切りの機能を持つと考えられることから、花弁状間仕切り 住居と呼ばれる。
古墳時代のえびの市永山にある地 下式横穴墓、永山の地下式板石積石室古墳
等と関係はないか。
この形の住居 の源は、朝鮮半島を起源とする「松菊里型住居」と言われる。
朝鮮半島とのつながりがこの地方に多いと言う事は、卑弥呼のいた所(邪馬台国)がこの辺とは考えられないか、素人の考えは限りなく拡がります。


表土を剥ぎ、徐々に下げていく

住居跡が現われる

真ん中の未発掘部分は、地層の確認の為、残す

花弁の部分は寝床、あるいは物置か、祭壇

手前の丸い穴2ヶ所は、近年の「いも穴」と思料される

中央の地層調査用の仕切りを取り除いた

花弁の先端部から柱用の穴が、7ヶ所確認される

柱穴跡は埋め戻し用の地質の違いが、確認される

柱跡の深い物は1m位あった

柱の埋め戻しが判別できる穴

2月10日は雪の為、作業は休みでした。

寒い日は霜柱が5pほどあり、朝はその取り除きが最初の作業でした。

住居近くに近年掘られた「イモ穴」がありました。

土質の違いがよくみえます。

一度に丸く掘り下げないで、地層を確認します。

イモ穴は3ヶ所ありました。

いろり跡

いろり跡
 

こんな住居だったのでしょうか
 朝と仕事終わりには、作業の指示、連絡等が行われます。  昼休み、休息時間はたき火を囲み歓談します。
松井の叔母さん、差し入れの食べ物、おいしかったです。感謝
 ベルトコンベア、搬出ダンプにお世話になりました
 
新東先生・役場生涯教育課藤井さん他、作業補助員16名です。
南日本新聞H29,2,10


古代人の生活を想像し、ロマンを感じるながら、仕事ができました。
新東晃一先生の火山灰考古学等講義等を無料で聞きながら
寒い中、ある時は土方仕事と、慎重な発掘補助員の仕事と
仕事仲間に恵まれ、未体験の作業を楽しみながら出来、覚えられました。

新東先生に教えてもらった事(順不動)

1 縄文・弥生・古墳時代について(弥生とは東京都本郷弥生町の    東京大学構内遺跡)
2 鬼界カルデラ噴火による火山灰(アカホヤ火山灰)
3 土器の野焼きの製法
4 黒曜石・チャート(石英)の違い、産地、使い方
5 姶良・阿多・鬼界・加久藤カルデラ・火砕流堆積物について
6 成川遺跡 について
7 石包丁・石匙(さじ)使い方について。
8 狩猟・稲作について
9 「貝の道」の説明
10 田の神サァと霧島大噴火

 西南戦争時官軍が作った地図・勝栗神社の資料の受領



 現地にある説明板です。