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園田 憲雄さん
昭和23年、鶴丸の農家の長男として生まれる。
昭和42年伊佐農林高校を卒業。
田畑1.5ヘクタールをつくる父とは別に、友人とトマトを作る。
昭和43年えびの吉松地震後、花を作り始める
国内は元より、世界各地に花を販売
平成24年、10年ごとに開催される「国際園芸博覧会」でオランダの日本政府館に出展。
現在に至る。

   22年前の新聞に、園田さんの記事がありましたので転記します。。
師匠なしの花づくり

 園田は伊佐農林高卒。田畑1,5ヘクタール作る父とは別に「反当収入のあがるものを」と、最初は友人三人とトマト等を栽培。そばに木造のハウスを手づくりし、好きな花を植えていたところ、昭和43年のえびの・吉松地震の大雪で倒壊。この事が新聞に出た途端、県内各地から「花を売ってくれ」と商人がどっと押しかけた。
昭和40年ごろから全国的に鉢花が売れているのは知っていたが「鹿児島でも売れる」ことに初めて気づく。
これで花一本で生きることを決意。
モウソウ竹を自分で割ってハウスを再建、五千鉢のシクラメンを植えた。だが台風で倒壊。
「強風が吹くさなか、すぐに車をとばして東串良のピーマン栽培農家の鉄骨ハウスを見に行きました。電柱は倒れているのに、ハウスは健在。これでなくちゃいかぬと、さつそくまねて再建したんです」。
翌年、国の資金を借りて鉄骨ハウスを2棟たてる。現在はさらに強度のあるH型鋼製を含め、ハウス面積は約四千平方メートルに増えた。燃料コスト減のため、井戸を二本掘って泉熱を利用している。
「師匠なし、本が手引きで、失敗の繰り返し。病気もでるし、毎年できが違う。拡大したくても土地・労働力など壁が多い」と一見華麗な花つくりの難しさを嘆く。

一男一女がいるが、後継ぎは強制しない主義。

10年ごとに開催されるオランダのフロリアードが、今開かれています。
園田さんは、日本国作品コーナーに出展されました。
帰国されましたので、お話をお聞きしました。
大きい会社に呑みこまれないように、自社独自の作品を特許をとって出しています。
今度の花も12年かかってつくりました。
その花が下写真です。




園田ガーデンの花コーナーはこちらから




園田さんは「ハンググライダー」もされています。
その勇姿を1枚